
フレゼリク・リーセ撮影の肖像写真(『イルストレーレト・ティーゼンデ』1909年1月号)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1864–1937年
- 国籍
- デンマーク
- 様式
- 写実主義、象徴主義
ハーラル・スロット・メラー
1864年に生まれ、1937年に没したデンマークの画家。写実の画家として名を上げたのち象徴主義へ進み、芸術を精神と日常をつなぐものと考えて、陶磁器の意匠にも力を注いだ。
略歴BIOGRAPHY
生涯
デンマークの百科事典『レックス』によれば、1881年から1883年まで王立美術アカデミーで学び、1883年から1886年まで芸術家自由研究学校でペーダー・セヴェリン・クロイヤーに師事した。1888年、同じくクロイヤーに学んだ画家アグネス・スロット・メラーと結婚する。1891年には展覧会団体「デン・フリ(自由展)」の創設に加わったが、1900年、モダニズムの流れが強まると会を離れた。1902年から1906年まで陶磁器工房アルミニアの芸術監督を務め、1917年には芸術論『芸術の源泉』を著した。1937年に没した。
様式の変遷
『レックス』によれば、《貧しい人々。死の待合室で》(1888年、デンマーク国立美術館)などで写実主義の代表的な画家となった。しかし1888年から1889年の新婚旅行でドイツ、イタリア、パリを訪れ、中世の美術やユーゲントシュティール、象徴主義に影響を受ける。髪の部分を彫って金を施した作曲家の妻アンネ・マリー・カール・ニールセンの肖像(1890年)や、額縁まで作品の一部とした《デンマークの風景》(1891年)は、その転換を示す。
代表作
《貧しい人々。死の待合室で》(1888年)、《デンマークの風景》(1891年)、ヴァイレ美術館の《ヴァイレ・フィヨルドの聖ヨハネ祭の夜》(1904年)が知られる。
影響
『レックス』によれば、スロット・メラーは芸術が倫理と美の両面で精神と日常をつなぐべきだと考え、工芸を制作の中心に置いた。1907年には、フュン島の画家たちの印象派風の画風と日常の主題に反対する論争に、妻とともに加わっている。