
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオによる素描(1510〜1511年頃、アンブロジアーナ図書館)。メルツィを描いたとされる
Wikimedia Commons / アンブロジアーナ図書館 / Public domain- 生没年
- 1491–1570年
- 国籍
- ミラノ公国
- 様式
- 盛期ルネサンス(レオナルド派)
フランチェスコ・メルツィ
ミラノの貴族の家に生まれ、若くしてレオナルド・ダ・ヴィンチの助手となった画家。師に従ってローマとフランスへ赴き、遺言で手稿と素描を託された。師の絵画論を編んだ『絵画の書』でも知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
イタリアの人名事典『イタリア人名事典』(トレッカーニ、2009年)によれば、ミラノの貴族ジェローラモ・メルツィの子として、おそらく1491年か1493年にミラノで生まれた。人文主義の教育を受け、初めはレオナルド・ダ・ヴィンチのもとで手紙の清書など書記の仕事をしたとみられる。1513年初めにはレオナルドがヴァプリオ・ダッダのメルツィ家の別荘に滞在し、同年9月24日に二人はローマへ発った。1517年には師に従ってフランスへ移り、国王フランソワ1世から給金を受けた。1519年4月24日、レオナルドは遺言でメルツィを相続人・遺言執行者に指名し、手稿と素描を遺した。帰国後は結婚して8人の子をもうけ、おそらく1570年頃にヴァプリオ・ダッダで没した。
様式
同事典によれば、1510年から1515年頃の最初期の絵画は、レオナルドの様式と図像をそのまま受け継いでいる。ベルリン絵画館によれば、《ウェルトゥムヌスとポモナ》のポモナの姿は、ロンドンにあるレオナルドの《聖アンナと聖母子》の下絵(カルトン)の聖母から写されている。師の素描を写し、薄れた線をなぞり直す役目も担ったとみられ、レオナルドの追随者たちのなかで彼の手を見分けるのは難しいとされる。
代表作
ベルリン絵画館の《ウェルトゥムヌスとポモナ》は、同事典によれば1511年から1513年頃の作とされる。ルーヴル美術館は、レオナルド工房の作品《バッカス》(1517〜1520年頃)を、メルツィに帰属する説とともに記録している。
影響
同事典によれば、メルツィはレオナルドの手稿を整理し、絵画に関する覚え書きを一つの書物にまとめた。その成果がヴァティカン図書館の写本『絵画の書』(Urb. lat. 1270)で、本文を書き写した主な手はメルツィのものとされる。同事典は、出版を見込んで1540年頃に仕上げられたとする説を紹介している。