- 生没年
- 1435–1495年
- 国籍
- ヴェネツィア共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
カルロ・クリヴェッリ
15世紀イタリアの画家。ヴェネツィアに生まれ、イタリア中部マルケ地方のアスコリ・ピチェーノを拠点に、金地の多翼祭壇画を数多く手がけた。鋭い線と装飾の感覚、果物や花綵の描写で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
イタリアの人名事典トレッカーニによれば、1435年ごろヴェネツィアに生まれた。画家ヴィットーレ・クリヴェッリは弟である。1457年、ヴェネツィアで「画家」と記された記録に姦通の罪で裁かれたことが残り、その後ダルマチアのザラ(現ザダル)に移って、1465年には同地の市民として現れる。1468年にはマルケ地方のマッサ・フェルマーナの多翼祭壇画に署名し、1469年ごろからアスコリ・ピチェーノに住んだ。1473年に同地の大聖堂の多翼祭壇画を描き、以後この町を中心に活動する。1488年からはカメリーノ、マテリカ、ファブリアーノなど北の町でも仕事をし、1490年にはのちのナポリ王フェルディナンド2世から騎士の称号を受けた。1494年8月から1495年9月までの間に没した。
様式
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、早くにヴィヴァリーニ一族の影響を受け、パドヴァのスクァルチョーネの工房の流れから、大理石を模した建築や果物の花綵、羊皮紙の札、楽を奏でる童子を学んだとみられる。技術に優れた画家で、絵の保存状態はよく、鋭い線の装飾感覚と見事な色彩で知られる。
代表作
アスコリ・ピチェーノの大聖堂の多翼祭壇画(1473年)のほか、《聖エミディウスのいる受胎告知》(1486年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、マテリカの教会のための《燕の聖母》(1491年、同館)が知られる。
影響
トレッカーニによれば、同時代の記録はこの画家についてほとんど語らず、ヴァザーリも触れていない。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、作品は19世紀にとくに高く評価され、同館が《燕の聖母》に払った値段がそれを物語る。1961年にはヴェネツィアのドゥカーレ宮殿で「クリヴェッリとクリヴェッリ派」展が開かれた。