
ユリウス・レーティングによる肖像
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1825–1903年
- 国籍
- ノルウェー
- 様式
- ロマン主義
ハンス・ギューデ
1825年にクリスチャニアで生まれ、1903年にベルリンで没したノルウェーの風景画家。デュッセルドルフで学び、ドイツの3つの美術学校で風景画を教えて、何世代ものノルウェーの画家を育てた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
『ノルウェー人名事典』によれば、1825年3月13日にクリスチャニアで生まれた。12歳から画家ヨハネス・フリントーに素描を学び、1841年にデュッセルドルフへ渡って、アンドレアス・アッヘンバッハの勧めで風景画に進んだ。1842年秋から同地のアカデミーでヨハン・ヴィルヘルム・シルマーの風景画の教室に学ぶ。1854年にシルマーの後を継いでデュッセルドルフの風景画の教授となり、1862年から1864年はウェールズで過ごした。1864年にはカールスルーエの美術学校で再びシルマーの後任となり、1880年からはベルリンのプロイセン芸術アカデミーの教授を務めた。1903年8月17日にベルリンで没した。
様式の変遷
同事典によれば、初期には嵐の迫る高い山の劇的な大画面を描いた。現地で描いた小さな油彩の習作をもとに、アトリエで構図を組み立てる方法を、生涯の夏の写生旅行で続けた。1860年頃からは水面の光の反射に関心を寄せ、晩年はクリスチャニアのフィヨルドの帆船や小舟を明るく描いた。ナショナル・ロマンティシズムが役目を終えると、主題と色はより写実的になった。
代表作
アドルフ・ティーデマンと合作した《ハルダンゲルフィヨルドの婚礼の行列》(1848年、オスロ国立美術館)のほか、《嵐の迫る高山の風景》(1848年)、《高山》(1857年)が知られる。
影響
同事典によれば、デュッセルドルフのアカデミーでは、仲間の絵の大気の表現をよく手伝ったため「空気の医者」と呼ばれた。長く教え続けたことで、何世代ものノルウェーの風景画家に影響を与え、カールスルーエではクリスチャン・クローグやフリッツ・タウロウも学んだ。同時代で最も称えられたノルウェーの画家だった。